辨 |
カボチャ属 Cucurbita(南瓜 nánguā 屬)には、南北アメリカ大陸に栽培種を含めて約20種がある。
クロダネカボチャ C. ficifolia(E.Buffalo gourd)
アンデス産。日本には1960sに入り、台木として利用
セイヨウカボチャ(クリカボチャ) C. maxima(笋瓜;E.Winter squash)
ミクスタカボチャ C. mixta(C.argyrasperma;E.Pumpkin, Winter squash)
メキシコ・中央アメリカ産
ニホンカボチャ C. moschata(C.pepo var.moschata;南瓜・蕃瓜;E.Pumpkin)
ツルクビカボチャ var. luffiformis
キクザカボチャ var. meloniformis
ペポカボチャ(カザリカボチャ) C. pepo(西葫蘆;E.Summer squash)
ズッキーニ 'Melopepo'
カザリカボチャ var. ovifera |
ウリ科 Cucurbitaceae(葫蘆 húlu 科)については、ウリ科を見よ。 |
訓 |
和名カボチャは、原産地と勘違いされたカンボジア Cambodia(現地名はカンプチア Kampuchea)の転訛。
ボウブラは、ポルトガル名 abobora の転訛。 |
『大和本草』に南瓜{ホウフラ}と、「南京ボウブラアリコレハクビアリ」と。
小野蘭山『本草綱目啓蒙』(1806)24南瓜に、「ボウブラ ボウブナ肥前 ボブラ加州 ナングハ仙台 サツマ備前」「京師ニテハ誤テ カボチヤト呼」と、また「・・・トウナスビト云、一名カボチヤ カボチヤボウブラ ナンキンボウブラ 日向ウリ豫州」と。 |
『言海』に、「カボチャ(南瓜)〔初メ Cambodia(柬埔寨)ヨリ來ル〕 ぼうぶらノ一種、其瓜、形、長ク、頸(クビ)アリテ、壺ノ形ノ如キモノ。(東京ノ稱)京都ニ、タウナスビ」と、また「ボウブラ(南瓜)〔蠻語ナリト云、詳ナラズ〕 ・・・瓜ノ形、圓ク平タクシテ、大サすゐくわノ如ク、・・・京ニテハ誤リテかぼちゃトイフ、大坂ニテナンキン」と
本山荻舟『飲食事典』(1958)によれば、「関東ではトウナス、関西ではカボチャまたはナンキン、九州ではボウブラという」と。 |
属名は、ラテン語「丸い瓜」。 |
説 |
東アジアで近世以来栽培してきたカボチャはニホンカボチャ C. moschata、メキシコ南部・中央アメリカ原産。
肉質は粘質で、煮崩れしにくい。 |
中国では、元代に「南瓜」が栽培されていた(『飲食須知』)。 |
日本には、天文10(1541)年ポルトガル船が豊後神宮寺浦に漂着した時、大友宗麟(1530-1587)にカボチャなどの種を伝えた。宗麟は、これらを播いて栽培した。天正(1573-1592)年間には長崎でも栽培。
延宝(1673-1681)・天和(1681-1684)年間に京都に入り、明和(1764-1772)年間江戸に入る。天保(1830-1844)飢饉以来救荒作物として急速に広まった。
第二次世界大戦中・戦後の食糧難時代にも、空地で栽培され、飢えを救った。 |
ニホンカボチャには、多くの系統・品種がある。
① 実が瓢箪型(まん中でくびれる)。カボチャ、トウナスビ、サイキョウ、
フクベカボチャ、シシガタニ(鹿ケ谷)などと呼ばれた。
② 実が扁平型。カボチャ、ボウブラ、ナンキンなどと呼ばれた。
②-1.チリメン(縮緬)カボチャ 瘤が密生して表面が縮緬状
居木(イルギ)カボチャ 武蔵荏原郡大崎産
岡山カボチャ 瀬戸内地方に産、備前岡山藩主池田光政により栽培奨励
見附(大縮緬) 遠州見附・加賀・出雲産
②-2.キクザ(菊座)カボチャ 縦溝が顕著で菊花状
虎斑カボチャ(三毛門型) 福岡産
フクベカボチャ(西京型) 京都・近江から拡散
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熱帯アジアでは、普通栽培するものはニホンカボチャ。 |
誌 |
中国では、種子を白瓜子(ハクカシ,báiguāzĭ)・南瓜子(ナンカシ,nánguāzĭ)・倭瓜子(ワカシ, woōuāzĭ)と呼び、日干しにするか炒るかして、食用に、また薬用に供する。 『全国中草葯匯編』上/581-582
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果実を煮物・汁の実・漬物などにして食うほか、タネは塩炒にして食う。 |
江戸では、広く食用されるようになったのは天保飢饉以後。
保存が利くことから冬至に食うのも、幕末以後の習慣という。 |
金と赤との南瓜(ぼうぶら)のふたつ転がる板の間に、
「共同医館」の板の間に、
ひとり坐りし留守番のその媼(おうな)こそさみしけれ。・・・
北原白秋「糸車」(『思ひ出』1911)より
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